デジタルハリネズミとは?
デジタルハリネズミは時代遅れもはなはだしい300万画素(初代は200万画素)の解像度。 最高とはいい難いCMOSセンサーを搭載。先端技術などなにもなく、必要最小限な機能がかる~いボディに詰め込まれている。あなたが、クッキリ、しっかり、正しく写るカメラが欲しいなら、さっさとこのページを閉じて、大きなカメラ屋さんにいくべきです。でもね、あなたが退屈な事実を見たいのじゃなくて、夢見心地なファンタジーに触れたいなら、デジタルハリネズミは最高な選択!これしか、ないって言えるでしょう。単純に撮って楽しい!持って歩いてなんだか楽しい!そーいうカメラって久しぶりじゃないですか?
開発者は語る
デジタルに、もっと愉快を!
をスローガンにデジタルハリネズミがデビューしたのが2009年3月。
その評判はたちまち世界中の好き物たちの目に留まり、NYのミュージアムショップから香港のブックショップ、ドバイのデジタルガジェット屋まで高速に駆け巡り、世界中で品切れ続出。そして2009年11月、2代目デジタルハリネズミが登場となった。
このカメラのよさを、多くの人が独特な「写り」というけど、それ以上に「カタチ」とか、もっと言えば「アリカタ」が支持されたんじゃないかなぁ、と思っている。画素数やもろもろのスペックを追い求めるデジカメシーンにおいて、このカメラは全くお話にならない低スペックだ。が、撮るものに(持つ者に!)他のカメラでは味わえない「愉快な感じ」を与えてくれる。この「愉快な感じ」はあなたの気持ちとなって、撮る「空気」に感染して、写真やムービーに影響を与えていく。
写真はシャッターを押せば誰でも撮れる。特にデジカメなんて何のマジックもないはずなのに、あなたと私は同じ写真を撮るはずなのに、なぜか、絶対、やっぱり違ってしまう。信じたくないのだけれど、そこに「精神性」が入ってしまう。これが、ホント、写真に関する最大の謎なんだけれど、ここに「愉快」を滲ませるのが、このカメラだ。
これはテクニックでもマーケティングでもない。単なる「心意気」というものだ。デジタルハリネズミは2代目になって、より私たちの考える「楽しいカメラ」に近づいた。遊んでくれたらうれしい。
「あるインタビュー」
下記はある海外の雑誌のインタビューに答えたものです。ただし答えを書いて、出すのを忘れていました!(ごめん、編集者さん!)なので、ここに掲載しておきます。
1.デジハリが生まれたときの裏話などはありますか?どうやってこのアイディアがうまれたのでしょうか。
アナログのカメラをつくっていたわけですが、特にアナログだけにこだわっていたわけではありません。カメラはだいたいプロ用の高級機、ハイアマチュア用の中級機、一般用のモデルと明確なヒエラルキーがありました(今もあります)。僕らは、そーいうものに、うんざりしていました。なので、そーじゃないカメラを作ったわけです。デジタル時代になっても、やっぱり同じ状況でした。まるで偏差値のようにスペックが重視されます。で僕らはそういものじゃないカメラを作りたかったのです。ヒエラルキー的には最下層。だけど面白い。心意気では雲の上のようなカメラ、そんなのを作りたかった。
そんなときに、このカメラのスケッチを描きました。このカタチを手に持ってみたい。それはどんな風に写るんだろう?と、楽しくなってきました。
この瞬間、僕らは1枚のスケッチに向かってスタートしたのです。
2.今のところHDやスーパー高画質のカメラが色々でています。でも、写真を今以上に更に向上し続けるということが難しくなってきています。だから、古い、懐かしい、不完全な写真へ返ろうとおもったのでしょうか。
例えば現在のブルーレイディスクを見ると、DVDは色褪せます。あんなに満足してたのにですよ。そのようにどんどん技術が進歩していくと、人間の視覚や聴覚はそれに合わせてどこまでも進歩すると楽観的に信じています。
その楽観的進歩と、ローテクノロジーに対するシンパシーは常に正比例するものだと思っています。どっちかだけでは成り立たない。不思議ですが一緒に歩むものです。
3.レトロとトイカメラの人気・サクセスについて:ノスタルジックという事が一番の理由だと思いますか?それとも何か別にあるのでしょうか。
ノスタルジーが一番大きな要因ではないと思う。それは最初の入り口というだけでしょう。カメラは撮る時間より、撮らない時間の方がはるかに長いのです。この手のカメラは撮らない時間が楽しいんだと思います。自分たちもそれを考えてカメラを作っています。
皆、生まれてからずっとハッキリクッキリした写真に慣れている。でもそんなイメージより、壊れたカメラで撮った写真や、失敗した写真のほうが、ずっと自分が想像していたイメージに近かったりするし、何か不思議な魅力に引き寄せられたりする。CDが登場してアナログレコードの豊饒さに気づいたように、そういう発見がいたるところで起きているんだと思う。
10年前では、古い写真にノスタルジーを感じるのはわかるにしても、古いデジカメの荒れた画像にノスタルジーを感じるなんて考えられなかった。人間はどんなものも再発見して、心を入れ込むことができる。その現象のひとつとして、ロースペックなカメラが愛されているんだと思う。
4.多くの人はデジハリと同じことを他のカメラでできる、フォトショップやiphoneのアプリで再現できる!というかもしれません。これに対してはどう思いますか?
アプリとカメラの大きな違いは、アプリはどうしても「便利」を目指すのですが、僕らのつくるようなモノは「不便」を目指すのです。我々のカメラは「機能」を提供するのではなく、撮りたいいう「空気と動機」を提供します。そしてテクノロジーではなくシンパシーを売るのです。
我々は「不便」で「低級なテクノロジーのもの」を「そう多くもない人々に」受け入れてもらうことを目的としています。
むずかしいのは、このカメラは普通の進歩をしても意味がないということです。 ついつい普通に進歩しそうになるので、そこをおさえて、我々はいつも初心に返らなければなりません。本当は機能をつけたくないのです。
6.デジハリは御社で唯一のデジタル機器となりますが、これからも増えていく予定はありますか?
その予定です。
でも、常に新商品を出さなければいけない、というような状況にはなりたくないです。
モノはやっぱり偶然のように、でもどこか人々に無意識に求められて、ポンと生まれるほうが幸せでしょう。しかし、これはなかなかむずかしいことです。僕らはピンクフロイドじゃないのでね。
いつも1年を振り返るとやりたいと思ったことの10%もできないことに愕然とします。
クローンがいたらどんなにいいでしょう。僕ら自身も自分たちはいろいろやることだけが、取りえだと思っています。結局、どんな仕事も続けていると「飽き」がやってきます。
その「飽き」をどうするかが、人生で一番重要な問題です。僕らはいろいろやることで精神的安定をかろうじて得ています。モノを作ることも、商売をすることも、商売ぬきで表現することも好きです。役人のようにきっちりやってみたり、芸術家のように感覚的に仕事をやってみたりすること、イベントで肉体をつかうことは、「飽き」を軽減してくれます。
そして僕らはそれらのことを、他人が通ったやり方でない方法でやっていこうとしています。
手探りで非効率的ですが、どうせロックスターにはなれなかった人生なんだから、
その他のことは全部みてみようじゃないかというのが基本的考えです。
この仕事をしていると、頭のいい人にも、頭の悪い人にも、会います。がっかりすることも沢山あります。でも、そーいうことのミックスが、僕らを「飽き」から遠ざけてくれます。









