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What's LomoHeads?

TokyoLomoHeads
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我々はラフォーレ原宿で何をやりたかったのか?

とにかくラフォーレでやりたかった。
最初の展覧会の時、どこかイイ場所を探していた。クラブだと来る人が限られるし、ギャラリーのお高くスマシタ感じは大嫌いだ(1年後にはクラブでもギャラリーでもやったけどね)。そのときラフォーレ、と誰かがいった。そりゃ、できたら凄いや、って思ったけど、ホントのことに思えなかった。僕ら80年代が青春時代だった奴らにはラフォーレは神殿だったからだ。だけど、その言葉を聞いてから、もう他が考えられなくなった。原宿を行きかうコが、1枚の写真に誘われて僕らの展覧会にやってくる。そして何かが変わってしまう。もう彼女は(彼は)元へは戻れない。その想像で、頭がラフォーレだけになった。

次の週にはラフォーレのドアを叩いた。
ありったけの思いを話した。支離滅裂でなってなかったが、プロデューサーのTさんは面白がって話しを聞いてくれた。それから何度も何度も何度も何度もラフォーレに通うことになった。後で知ったがTさんは80年代のラフォーレ黄金期を築いたプロデューサーの一人だった。結局、それから実現するまで約1年が経過した。山あり谷あり、いろいろあって、1999年秋、青山、みなとみらいに続く第3番目のExhibitionとして、世界最大のLomoExhibition、TokyoLomoHeadsが実現した。

こうして1999年9月25日は我々のもう一つの誕生日になった。

我々は気づいていた。ひとりの天才的な写真家やアーティストが全世界のイメージを表現できる時代は終わった。世界のイメージは1人の天才の手にあまる。それが、現代という難しさだ。我々は、何万というイメージ、それを傑作や駄作、大成功や大失敗、熟練や未熟っていう風に区分けしなかった。「今」が写っているものだけを求めた。混沌としたイメージを混沌としたまま見せることで、脳の中を切開するように「たった今」のイメージを見ようとした。ここから、世界の無意識が映像として立ち現れると信じた。

我々にとってこのイベントは巨大だった。このイベントが「本当に」実現したことは「世の中まんざらでもない」と思わせてくれたし、ここで出来なかったことをやるために我々のその後があった。それは永遠に連鎖し、今に直結した。


大森秀樹(2001年2月21日)


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